映画は光と音の織物
折しも8月15日、終戦記念日。
大林宣彦監督の遺作となった映画を観たのだった。
…くらってしまった。
今でも、予告映像を観ると、よくわからない涙が込み上げてきてしまう。
こんなに切実で、優しいユーモアに溢れた映画ってあるだろうか。
この映画を観に行った人はみんな、監督から直々に手紙をもらったようなもんだと思う(どの映画、創作作品もそうかもしれないけれど、殊に、受け取った感触が生々しくある)。
映画が始まってしばらくは、「こういう展開で進むのね」「基本はこういう時代の設定なのね」と、作品に対して安心して腰を下ろそうとするや否やas soon as、突如その椅子が形を変えて逃げていくような感覚に陥り、「???」とアワアワしてしまう。でも、気づくといつの間にか椅子に深く沈み込み、そこから見える景色に没頭していた。あとは、身を任せるだけでいい。
ビビッドな色使いに彩られ、語られながら進むミュージカル、時代劇、戦争アクション、ファンタジー、バイオレンス、ラブ&ロマンス…
時代と場所によって、歴史の中で散り散りになっていた物語と、その時生きていた命と心が、一つの映画という光と音の織物として紡がれている。そして、1本1本の糸の色を選び、紋様を浮かび上がらせる、その紡ぎ手のエネルギー…!この感動って、すなわちこの作品を含めた、映画自体への改めての感動で。
「これは先ず、映画についての映画、であります」(『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』パンフレットより引用)
監督が言っているように、私は作品に心震わせながら、映画という発明、文化、仕組み、に心震わせていた。まさに、キネマの玉手箱や…!(映像をまとめ上げる同種のエネルギー、アレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』にも感じた。あちらも91歳!)
そして、大林監督が人生をかけて、最後の一滴まで振り絞ったであろう、老いの、死への重力を感じさせない圧倒的なエネルギーは、生き様であり、希望だ。
生き切る、の手本。最近亡くられた山本寛斎さんもそうだけれど、四十路を迎えるこのタイミングで、人って、生き切れることを知る。最高に格好いい。同時に「君は、どうやって生きる?」と問われたような気持ちにもなる。
映画はタイムマシン
鑑賞中は、特に戦争映画に弱く、感情が持っていかれるので、そりゃあまあ、マスクがぐずぐずになるほど涙を流したのだけれど、本当に揺さぶられたのが、沖縄のくだり。山崎紘菜さんの演技にワシ掴まれた。胸を打たれる、という感覚。
映像では、成海璃子×細田善彦の桟橋シーン。燃えるような太陽が、星が、美しかった。成海璃子嬢の肉体は、それ自体語るものがある!あと、個人的には、10年前の日テレ土9の木皿泉ドラマ『Q10』で知った細田善彦(元・よしひこ)くんがメインの1人として真っ向勝負している感じが嬉しかった。いい役者さんだよね。
あと、一点謝りたいのは、序盤で映画館の支配人として出てきた稔ちゃんこと、小林稔侍氏…
ごめん、私、なぜか稔ちゃんも鬼籍に入ったと思って観てましたマジごめん…!!!!!
これまた序盤で「映画はタイムマシン」ってセリフが出てくるのだけど、(私の中で死んだことになっていた)小林稔侍にも会えてる…これも、そうタイムマシンのおかげだね(涙)!くらいに思って観てました、ほんとスイマセン…
尾道最新作、最高でした
とにかく、映画を愛し、映画に愛された監督自身が、まるっと映画作品に形を変えて生まれ変わったような、密の極みのような極楽エンタ映画なので、3時間の上映時間にビビらず、映画館で浴びるのがベストと思います。
大林作品との映画館での出会いは、子供の頃、夏休みに観た『水の旅人 侍KIDS』。おおジュブナイル!10代後半で尾道三部作を観て、尾道まで青春18切符で旅したこともありました。当時、聖地巡礼なんて言葉なかったな…。監督、尾道最新作、最高でした。
戦争など、二度としてなるものか。
愛と平和、シンプルに、これに尽きる。どちら様も、仲良くやろうや(誰?)。
最後に、監督の言葉を、パンフレットから。
「これは、戦争を知らず、しかし現在の戦争の気配を感じ、内心深く怯えている、現代の新しき戦前の時代を生きる若い人たちにとっての映画の玉手箱でもあろうか、と。」
「ねえ、映画で僕らの未来、変えて見ようよ!!」※ここ、手書きで!(『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』パンフレットより引用)